田畑政治ってどんな人?大河ドラマいだてん主人公の激動の人生をわかりやすく


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みなさん、こんにちは。

今年1月より放送開始の大河ドラマ
『いだてん~東京オリムピック噺~』が
話題になっていますよね!

近代の日本を描いた作品であることや
監督が宮藤官九郎さんであったりと
既に大河ドラマの概念を覆すような
発表が続々とされています。
その中でも主人公が二人いることが
変わっているなとわたしは思います。

主人公は金栗四三さんと
田畑政治さんの二人で
リレー形式で話を紡いでいくそう。

今回はそんな田畑政治さんについて
調べてみました。

田畑政治ってどんな人?

田畑政治さんは
オリンピック日本代表の監督や
日本水泳連盟の理事長や会長を務め、
『オリンピックを承知した男』
として有名な方です。

どんな方なのか気になりますよね!

プロフィール

田畑政治(たばた・まさじ)さんは
1898年12月1日に静岡県で生まれました。
職業は東京朝日新聞社の記者。
また、学生時代から水泳の指導者として
活躍されていたようです。

経歴

静岡県浜松市に生まれ、
造り酒屋を営む父のおかげで
裕福な家庭で育ちます。

幼いころは身体が弱く、
祖父や父が若くして亡くなっていたため、
自分も30歳までには死ぬと思っていたそうです。

子どものころから浜名湾でよく泳いでおり、
遠州学友会水泳部に入ることになります。

水泳部の中でもエース的存在だった
田畑政治さんですが、病気になり
医師から「泳いだら死ぬ。」と言われ、
泳ぐことを断念します。
泳ぐことを断念せざるを得なかった
田畑政治さんは後輩の指導者として
水泳に関わることを決意します。

ここでの決断が将来の水泳指導者、
オリンピック招致の道へと繋がってくのです。

激動の人生とは?

水泳に命を懸けた男、田畑政治さん。
その人生は一体どのような
人生だったのでしょうか?

学生時代

水泳の指導を始めたのは、
まだ学生の頃です。

ですが、その行動力や熱意は
学生とは思えないほどのものでした。

水泳の日本人選手が
初めてオリンピックに参加した際に
外国人選手がクロールで長距離を
泳ぐことを耳にすれば、
早速練習に取り入れます。

このときから世界を
見ていることがわかりますね!

また、浜名湾日本一を目指していたこともあり
日本一になるには全国大会が必要でした。
地元有力者に協力してもらい、
なんと海水プールを作ったのです!
そして全国各地の水泳強豪校に声をかけ
全国大会を開催したのでした。

学生とは思えない行動力…
さすがオリンピックを招致した男ですね。

社会人時代

先程お伝えしたように田畑政治さんは
大学創業後、朝日新聞に入社します。
理由は「政治に興味がある」からだそうです。

名前通りのお方ですよね!

田畑政治さんは、就職してからも
頻繁に浜名湾へ足を運び
後輩の指導にあたっていたそうです。
その成果もあってか浜名湾からは
続々と強豪選手が誕生していきました。

また、そのような活動を評価され
『日本水上陸上競技連盟』の理事となります。

オリンピックへの挑戦

日本水上陸上競技連盟の理事となった
田畑政治さんは、世界一を目標としていたため
オリンピックへ目を向けていました。

オリンピックで成果をあげるためには
選手のケアなど多くの資金が必要でした。
新聞記者として政治に精通していた
田畑政治さんは、当時の大蔵大臣に会い
補助金を出してくれるという約束を取り付けます。

そうして、10人の水泳選手を送り込み
見事男子200m平泳ぎで金メダルを獲得します。
他の種目でも銀メダル、銅メダルを獲得し、
田畑政治さんの思惑通りに日本人水泳選手たちは
華々しい活躍を見せたのでした。

それからも、専用プールを作ったり
アメリカのベストチームを呼び
練習試合を行うなどして
日本選手の強化のために尽力します。

その成果もあり、次のオリンピックでは
金メダル・銀メダル5個、銅メダル2個という
素晴らしい成績をおさめ、
世界に水泳大国日本を知らしめるのでした。

東京オリンピックへ動き出す…

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あるとき、日本にオリンピックを!という動きが出ます。
それが紀元2600年記念行事の一環として
東京都が東京でオリンピックを行ういうものでした。
ローマ・東京・ヘルシンキという候補の中、
日本はローマに働きかけ辞退してもらうことに成功し
東京招致が実現したのでした。

しかし、ここで日中戦争が起こります。
オリンピック開催派と反対派で意見が分かれ
揉めましたが、結局返上することとなりました。
また、日本が返上したためにヘルシンキで
行われる予定であったオリンピックも
第二次世界大戦の影響で中止となったのでした。

しかし、田畑政治さんは今の日本では
まだ開催地としては未熟で実力不足だと
感じていたため、肩を落とすことはなかったようです。

戦争の爪痕

第二次世界大戦の影響もあり、
日本はオリンピックへの
出場自体が難しくなっていました。
「政治とスポーツは別」という考えは通じず、
ロンドンオリンピックではイギリスから
参加を拒否されたのでした。

そんな中でも輝かしい成績を残す選手は
現れていたのでした。
日本選手権で世界新記録を上回るタイムを
叩き出したのです。
しかし、日本水泳界は国際水泳連盟に
復帰できていなかったため
この記録は認められませんでした。

これに怒りを表したのが田畑政治さん。
世界新記録に認められないことに
納得がいかない田畑政治さんは、
どうにかして水泳競技だけでも
ロンドンオリンピックに出場できないかと
奔走しましたが、できず仕舞いでした。

しかし、ここで折れないのが
田畑政治さんのすごいところ。

ロンドンオリンピックと同日に
日本選手権を開催したのです。
その結果、2人の選手が世界新記録を樹立。
ロンドンオリンピックの優勝者を上回る
記録だったのでした。
こうして水泳大国日本を再度知らしめたのでした。

しかし、まだオリンピックに参加できない日本。
田畑政治さんは、国際水泳連盟に働きかけます。
戦前から国際水泳連盟と親密にしていたことが
功をなし、復帰することに成功します。

東京オリンピック開催まで

それからオリンピックを開催に至るまで
足を引っ張ってい来る人物が現れ
退職に追い込まれたり、
日本水泳連盟が分裂したりと
田畑政治さんは目まぐるしい人生を送ります。

オリンピックの招致も資金繰りが
難しく諦めることなどもありましたが、
様々な策略や協力者の力もあり
東京オリンピック開催を獲得したのでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
ご紹介した田畑政治さんは
とっても凄腕な人物のようですね。

また、田畑政治さん役は
『舞妓haaaan!!!』や
『マルモのおきて』などで知られる
阿部サダヲさんが演じます。

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阿部サダヲさんは監督の宮藤官九郎さんとは
大人計画という同じ事務所で
何度もタッグを組んでいます。
今回も相性ばっちりで面白い作品に
なりそうですよね!

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

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