こんにちは漫画家の長谷邦夫さんが
うっ血性心不全で亡くなられました。
個人的にこの長谷邦夫さんが
どういった活躍をされた方なのかあまり
知りませんでしたので、今回
経歴や作品、そして手塚治虫さんとの
関わりについて調べてみることにしました。
長谷邦夫の経歴プロフ
プロフィール
名前:長谷邦夫
本名:ながたにいくお
生年月日:1937年4月7日
年齢:享年81歳
出身地:東京府東京市葛飾区
職業:漫画家
少年時代は、漫画雑誌の先駆けとなる『漫画少年』に
投稿されていたそうです。
そもそも少年時代から漫画を書いて投稿する
といのがすごいですよね。
普通は趣味の範囲で、自分で絵を書いている
といった具合なのでしょうが、長谷邦夫さんの
場合はそれを世に出そうと少年の時から
しっかりと夢を持って行動していたんですね。
素晴らしいです。
その行動力がやはり大きなチャンスと、
人との出会いを生み出すんですね。
東京都の立芝商業高校を卒業後一度は製薬会社に
就職しますが、当時死んでしまうことも多かった
結核という病気に犯され、わずか3ヶ月で
タイショクヲ余儀なくされます。
そういった逆境があったにも関わらず
だからこそ、その後は漫画1本に絞って
人生をかけて漫画を書き続けるようになります。
今でこそ、漫画は流通の発展やネットがありますから
漫画もすぐに拡散できる媒体が溢れるほどありますが、
当時、漫画一本で生きていくと決断するのは
相当な覚悟がいることだったでしょう。
昔の人の漫画ってやっぱりなんか鬼気迫るものが
ありますもんね。ハングリー精神が違いますね。
もちろん、現代の漫画家さんの下積み時代も
ものすごいハングリーだとは思いますが、
チャンスの少なさでいうと、この当時の漫画家の
方々の方が、かなり過酷であったのではないでしょうか。
いずれにせよ、この長谷邦夫さんの努力は実り
やがて、赤塚不二夫さんと出会い、あの有名な
手塚治虫も住んでおり、石森章太郎や赤塚不二夫らも住んでいた
豊島区の漫画家の聖地とも言われる「トキワ荘」に出入りし、
「トキワ荘メンバー」の一員となります。
そしてその後トキワ荘グループが創設した
アニメ企画会社「スタジオゼロ」に入社します。
同社の雑誌部のチーフアシスタントとなり、
あの有名な「オバケのQ太郎」や「レインボー戦隊ロビン」
を手がけます。
その後1965年は赤塚のフジオ・プロダクション
創立にも参加します。
ずっと赤塚不二夫さんと共に活動してきており、
赤塚不二夫さんのブレーンとして活躍します。
どちらかというと影に徹して裏方で活動するといった
流れがありますね。
フジオ・プロではアイデアマン・作画などを担当し、『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』『ギャグゲリラ』など主要作品の全てに関わる。また、赤塚のアメリカ取材(『MAD』編集部への往訪)や赤塚が企画した写真漫画(『週刊少年サンデー』掲載。アクターとして出演)にも携わったほか、「赤塚不二夫責任編集」と銘打った雑誌『まんがNo.1』の事実上の編集長となり、後年は赤塚のマネジメントも担当した。ゴーストライターとして赤塚名義で発表した原稿も多い。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%82%A6%E5%A4%AB
そういった意味で、長谷さん自身は特に大ヒットのある
漫画家ではないので一般的知名度は低いかもしれないが、
漫画史的には非常に重要な人とされています。
60年代から日本ではまだ馴染みの薄かったパロディを描き、
長く赤塚不二夫のブレーンも務めたわけですから
ものすごい実力ですよね。
しかし赤塚フジオさんが酒に溺れて漫画活動に
支障をきたすようになったあたりの1994年に
フジオプロを退職し、独立します。
もともと文学少年でもあり、江戸川邦夫名義で
小説も出版するほどの秀才でしたから、
漫画のみならず執筆活動なども行い、
井上陽水の「桜三月散歩道」の作詞も
手がけ、日本作詩大賞LP賞なども受賞しています。
その後は漫画家の一線で活動するというよりは
後進の育成、指導を行うようになります。
長谷邦夫のうっ血性心不全とは
そんな長谷邦夫さんですが、
先日うっ血性心不全という病で
長寿を全うされました。
うっ血性心不全というのは、
心臓の機能が低下して、心拍出量が低下し
静脈側にうっ血が生じて
内臓の様々な臓器に障害が出る疾患
だそうですね。
つまり、血液をおくるポンプの働きを
する心臓の弱退化によって、
血がうまく流れなくなり各所に
溜まってしまうということですね。
2013年4月に脳出血で倒れられ、
それから徐々に弱って来られた
ということだそうです。
その時から、長男の洋之さんが
ブログを代筆されていたそうです。
長谷邦夫さんのブログはこちらになります。
80歳を超えて、ずっとブログで言葉を
残すというのは本当に、長谷邦夫さんは
執筆家であり、自分を発信するという
生き様は少年時代からなんら変わらなかったんですね。
本当に素晴らしい生き様だと思います。
本当にお疲れ様でした。
まとめ
ということで今回は
長谷邦夫さんの経歴や
死因のうっ血性心不全
について記事にしました。
また日本を代表する
漫画家をひとり失い、寂しい気もしますが、
でもその作品や作風は
後代に引き継がれ、世界に誇る
日本の漫画文化はこれからも
発展を続けることでしょう。
今までのご活躍を称えつつ、
ご遺族の方々に心からの
なぐさめをお祈りしています。