こんにちはtakuです。
本田圭祐選手の兄がすごいと
噂になっていますね。
本田圭祐選手に兄がいたことは
恥ずかしながらしりませんでした。
本田圭祐選手の活躍の裏には
実はこの兄の存在があったというこ
らしいので、早速ですが
この本田圭祐選手の兄弘幸さんの
職業や経歴について調べてみることに
しました。
本田圭佑の兄本田弘幸の経歴や職業は?
本田圭祐選手に兄がいるということも
僕は恥ずかしながらしりませんでした。
以下に彼の経歴プロフを紹介します。
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/
プロフィール
名前:本田弘幸(ほんだ ひろゆき)
本名:同上
生年月日:1983年12月10日
年齢:35齢
出身地:大阪府摂津市
身長:178cm
体重:現役時代75kg
職業:会社HEROE 経営者 代理人
やはり兄というだけあって
どこか似ていますね。
本田圭祐選手が1986年6月13日の32歳ですから
3歳上ということになります。
身長は本田圭祐選手が182cmですから、
4cmほど背が低いようですが、実は
サッカーもかなりの実力だったんだとか。
小学校5年生の時に本田選手と同じように
FC摂津に入団し、中学2粘性で大阪選抜に
選出されるとその年のガンバ杯で優勝します。
そしてなんとあの名門帝京高校に
入学し2001年には高校総体でベスト8まで
いきます。
高校卒業後はセレッソ大阪と神戸のテスト生を
経て、海外のリバープレートとアルゼンチンの
テンプレでプロ契約をしプレーしていました。
結構ガチのサッカー選手だったようですね!
かつては大阪摂津界隈では「サッカーの本田」
といえば、それは本田圭祐ではなく
本田弘幸だったと言われているほどだったとか。
かつて大阪・摂津界隈で「サッカーの本田」といえば、それは弘幸のことだった。圭佑より3つ年上の兄は、左右のキック力とテクニック、フィジカル、ゲームビジョンを備えたトップ下の選手だった。弟にとって目指すべき存在であり、チームメートや指導者たちはこう思っていたという。
ああいう奴がプロになるんやろな――。
引用:http://number.bunshun.jp/articles/-/830228
海外でプレー後は大分のチームに所属する予定だった
ようですが、右膝に大怪我を負い、引退することに
なったそうです。
現在は何を生業としているのでしょうか。
本田圭祐の兄本田弘幸の会社HEROEについて
僕は個人的には知らなかったのですが、
本田圭佑選手の弘幸さんは現在会社の
経営者で、その会社名を「HEROE」と
いうそうです。
この会社はどんな会社かというと
日本で発掘したサッカー選手を
欧州を中心に、海外のサッカークラブへ
売り込み、そして契約を結び
プロとして育て上げるという
育成プログラムコーディネートを
手がける会社のようです。
実は本田圭祐選手をACミランに
送り込むために交渉したのも、
そして背番号10番のユニフォームを
要求したのも
この兄の弘幸さんだったとか。
知りませんでした。。
本田圭祐選手を筆頭に、
川崎の家長昭博選手、
名古屋の青木亮太選手、
千葉の指宿洋史選手、
柏の中山雄太選手、小泉慶選手など
実に20人近いプロ選手を抱え、
現在彼らを世界に羽ばたかせるために
世界を飛び回っているそうです。
本田圭祐の兄本田弘幸の性格は?
本田圭祐選手はビッグマウス
で知られ、プロフェッショナルや
情熱大陸でもその自信満々の
強気発言を聴きながら、なぜこの人は
こんなにも強くメンタルを保つことが
できるのだろうかと不思議に思ったりも
していました。
でも実は、背後にその兄の存在と支えが
あったんだということに今更ながら
気づきました。
実はACミランに、名も知られていない
この兄である弘幸さんが、何度も何度も
ACミランのクラブハウス「ミラネッロ」
に通い、交渉した末の実現だったそうです。
4年前の1月。スーツ姿の本田は世界の注目を集めていた。イタリア1部リーグ、セリエAで18度の優勝を誇る名門・ACミランへの移籍会見。200人以上の報道陣を前に、本田は英語で記者の質問に答えた。
「夢が実現しました。12歳の時、『いつかセリエAで背番号10をつける』と作文に書いていたから」
会見場の脇には、弟の雄姿をそっと見守る兄の姿があった。この移籍は兄、弘幸さんの存在なくしてはなし得なかった。
その1年以上前、弘幸さんは1人、イタリア・ミラノにいた。目の前に立つ建物は、通称「ミラネッロ」。ACミランの練習場兼クラブハウスだ。周りにはファンやマスコミが集まり、選手らの出入りに目を光らせる。
弘幸さんは迷わず、その中を進んだ。「ジャポネーゼ、何してるんだ」。いぶかしがる守衛にこう言った。「移籍交渉に来た」
10分ほどの押し問答。その末に現れたのは、ACミランで強化を担うスポーツディレクター、ブライダ氏だった。カウンターでエスプレッソを飲み干すと、奥に通された。「何をしに来たんだ」
交渉は難航した。当時、ACミランには各国代表クラスのFWが7人。「圭佑は中盤の選手。ボランチでもいい」。毎月のようにブライダ氏の元へ通った。
引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180621-00000107-asahi-spo
この文面から推測するに、
この兄の弘幸さんも
かなり肝の据わった
心臓に毛が生えたような
メンタルの持ち主であることが
わかりますね。
そして、自分は現役選手として
活躍はできないが、そのかわり
弟のためにサッカー関係者として
できる限りのことをしている姿から
弟思いであり、日本のサッカーを
盛り上げるために全力疾走している
ビジネスにも熱い性格の持ち主で
あることがわかりますね。
まとめ
ということで今回は、
本田圭祐選手の兄である
本田弘幸さんの職業や経歴
性格について記事にしました。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。