こんにちは。takuです。
なんともおかしな(?)不思議な
ニュースが飛び込んできました。
大相撲の土俵上で倒れた人を
応急処置のため土俵上で心臓マッサージを
施している女性に対して
「女性は土俵を降りてください」
と言う場内アナウンスが流れたと
言うのです。
その経緯と理由について気になったので
調べてみることにしました。
あらまし
大相撲の春巡業が
京都の舞鶴市で行われ
興行中にこのハプニングが起きました。
土俵上であいさつ中の舞鶴市の市長
である、多々見良三市長(67)
が体調不良になり、突然土俵上で
倒れたところ、医療従事者と思われる
二人の女性が土俵上に上がり、
心臓マッサージなどの処置を施した
そうです。
ところがその際に、場内アナウンスで
「女性は土俵から降りるように」との
指示があったと言うので物議を醸している
というのです。
大相撲において女性が土俵に上がることは
禁じられているそうなのですが、
それにしても、一刻を争うような人命に
関わる応急処置の局面で、そのアナウンスは
あまりにも的外れな応対だと疑問の声が上がるのも
おかしくはない状態ですよね。
その応急処置の様子の動画は
こちら ↓
日本相撲界のしきたりと
人の命とどちらが大切なのでしょうか。
土俵に女性がのぼってはいけない理由
そもそも、なぜ相撲界においては
土俵上に女性が上ってはいけない
のでしょうか。
その文化は一体どこからきているのでしょうか。
そしてなぜその(しきたり)ルールが
今の時代にも引き継がれているのでしょうか。
ついつい女性禁制と聞くとなんだか
男尊女卑文化が残っているようで、
女性からは猛反発をくらいそうな
ルールですよね。
ルーツ
そのルーツを調べてみました。
実はもともと相撲というのは
農村で豊作を祝うための
儀式だったそうです。
豊作の神というとそれは
多産をイメージさせる女性神
が祀られることが多かったそうで、
その女性の神様を楽しませるために
力自慢の若い男性が裸にも近い
状態で力を競い合うというルーツ
があるそうです。
ですから、この理論でいくと、
大相撲の土俵の女性禁制は、
女性を見下しているという訳では
ないという論理で、
ようは、その女性の神様が
やきもちを焼くので、
女性禁止というルールが
出来上がったらしいです。
ほんまかいな。
と個人的には思わないでも
ないですが。
なんとも漠然とした、
ボヤッとした由来、経緯ですね。
これを根拠に、土俵の女性禁制
は女性差別ではないと
主張されているのですが、
これが本当なら、
僕個人としてはむしろ
より疑問が残りますね。
今回のケースの場合
土俵上で「男性」の市長が
体調不良で倒れました。
その「男性」の命を助けようと
土俵上に上がった女性に対して
場内アナウンスで「降りるよう」
指示がありました。
男性が土俵で競うことを喜んでいる
女性神が「男性」を助けようと
土俵に上がった女性に対して
焼きもちを焼くでしょうか?
何それ、そもそもこの理屈が
おかしいですよね〜。
そのルール(しきたり)の起こりが
それだけボヤッとした由来なら、
ますます、このような緊急事態の時に
女性が土俵上に上がっても
なんら問題はないということに
なります。よね?
観客の一部の人が、
「女性が土俵に上ってもいいの?」
と声を出したからといって、
本当にそのまま
場内アナウンスを流してしまう行司
についても非常に疑問が
残るところですね。
この若手行司もこのような相撲の歴史
や由来に関する知識不足もあり、
結果、相撲のしきたり、文化が
一人歩きしたという状態になってしまい
ましたね。
相撲協会のルールについて
個人的には、土俵上に女性が上ってはいけない
というルール自体がいまいちピンとこない
ので、今回の騒動によってますますその
意味・意義はどこにあるのかというのが
印象ですね。
日本の法律も時代と共に社会に合わせて
改正されてきました。
もちろん賛否両論あって、その都度
議論がなされるわけですが、
それでもやはりより良いものを目指して
「改正」を視野に入れることは非常に
大事ですよね。
大相撲も日本の古きより文化を継承する
国技の一つですが、やはり変えなくては
ならない部分は同じように改正が必要なの
ではないでしょうか。
今回のように、人命に関わるような場合でも
「しきたり」「既存の文化」が一人歩き
してしまうような状況、ハプニングは
避けなくてはいけませんよね。
takuの一言
ということで、今回は
大相撲の土俵上で起きた
ハプニングと女性禁制の
大相撲文化について触れてみました。
それにしても、今回はその
舞鶴市の市長の命に別状が
なかったのでよかったのですが、
もしこれで死んでしまっていたなら
この場内アナウンスはさらに
波紋を呼んでいたことでしょう。
古き文化は確かに素晴らしいものですが、
全ての要素が良いとも限りませんよね。
これを機に、日本大相撲のしきたり
文化について考える機会となりましたので
最近色々と世間を騒がせている相撲界
ですから、ここらで悪い膿のような
古い文化を捨てる時がきているのかも
しれませんね。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
コメント
いろんなことが言われていますが、そもそも相撲は神事なんです。神社関係と言った方が分りやすいと思います。仏教では死というものは誰にでも平等に訪れるもの。また経典によると自分の手を切って場所を清めるということもあります。
でも神社関係は死や血は穢れの象徴になっています。なので神社では喪中の方は神社参拝はもちろん、鳥居もくぐってはいけないと言います。それに怪我をしている人や生理中の人も参拝や鳥居をくぐることを禁止している神社もあります。先ほども書きましたが、血は穢れなのです。なので神事である相撲の土俵には女性が上がれないのです。女性蔑視や軽視ではなく、いつその女性が生理なのか傍から見ても分らないから。それがその理由です。
なかなか人間が判断するには難しい問題だと思います。
諸説ありますが、元々の元は本当に大元なのでしょうか?
私はクリスチャンで日々聖書の内容おw理解しよう努めています。
聖書の中で
「ごらん、あそこで神と人間が組み合っているではないか。」
と言う文があります。
聖書の大元はイスラエルで厳重に保管されており、古代ヘブライ語で記載されています。
古代ヘブライ語で「組み合う」と言う単語は「シュモー」と発音します。
これが日本ひ伝わって日本の国技、神の神事「相撲」になった。と考えられます。
これは優秀な大学を卒業した博士が宣言できることではなく、信じている者だけが獲得できる知識だと自負しています。
ニュースで言われている様に、相撲協会から、
「相撲の神様は女神だから、女が土俵に入るのは失礼。」
というのもどうかと思います。
そもそも神様と人間ではポジションが違い過ぎます。
神様は人間をこよなく愛しておられます。
神様から見れば、人間が人間同士、助け合う姿は非常に望ましい事だと思います。
女神様だから女が入ってはいけない。という取り決めは、人間が勝手に女神様に配慮した
取り決めだと思います。
もしその時代、女神様の口から命令された言葉なら、人間のDNAレベルで土俵には上がれない状態になるはずですね。
女性がヘビを見ると訳もなく嫌な様に。
世の中が女性上位になかなかなれないのは、聖書の創世記に記載されています。
ヘビがエバを唆して禁断の実を味わった。
(当時ヘビは神の下部です、人間の形をしています)
エバは禁断の実を味わうと死ぬ。と神様から警告されていました。しかし、実際には死なないし、それよりも神様の様に目が開けた。と言っています。
そしてエバはアダムにも勧めました。
結局アダムとエバは禁断の実を味わってしまいました。
ここで現代版の評価をしてみると、
主犯格→ヘビ
第1実行犯→エバ
第2実行犯→アダム
実刑
ヘビ→両手両足をもぎ取られ、一生この地上で暮らせ。(地球に取り残され刑)
エバ→お前たちを創造するのにどれだけ大変だったか分かるか。生みの苦しみを味わえ。
出産の使命を背負う。
アダム→お前もお前だ、一生額に汗をして地を耕せ。労働の使命を背負う。
これで女性が汚れている。という謂れが分かったかと思います。
現在でも月経の時は神社の鳥居をくぐってはいけない。と言われています。
月経は出産の準備であり、罪を犯した証であるため、汚れている。と表現され、
聖地に入る事は許されないのです。
21世紀になってもその呪いは解消されていません。
人間がどれだけ反対しても、出産は女性がするのです。
だから人間がどれだけ反対しても、男女平等にはなれるかもしれませんが、女性上位
にはなれない。と思います。
諸説ある。と言われますが、根本は一つ。
一番歴史が古いとされている聖書を勉強することも現代社会に必要なことかと思います。
神様への認識を現代技術で見直す時期に来ていると思います。